「高梁市歴史人物事典」を編集するにあたって
平成16年(2004)10月1日、高梁市・有漢町・成羽町・川上町・備中町の1市4町が合併し新高梁市が誕生しました。
高梁の歴史は、延応2年(1240)秋庭三郎重信が大松山(臥牛山)に砦を築いてから始まりました。
それから備中兵乱の戦国時代を経て江戸時代に入り幾多の城主を迎え現在の町割りが形成されました。
幕末維新には、備中松山藩主板倉勝静公が時の江戸幕府の老中首座を務めていたため朝敵となり松山藩は接収され苦難の時代を迎えました。
しかしながら郷土愛に燃えた多くの人々の努力により、新しい高梁を誕生させました。
太平洋戦争を経て、昭和29年(1954)5月1日、1町8村の合併により高梁市が誕生し、翌年中井村も合併し旧高梁市が発足し、それから丁度50年を経過し新高梁市の誕生となりました。
この764年の歴史を営々と築いた先人たちの血の滲むような努力により、今日の我々がある事を忘れてはなりません。
また私たち一人ひとりが、山田方谷先生はじめ多くの先人の足跡に学び、その英知と努力を受け継いでいく必要があります。
「高梁市歴史人物事典」を編集するにあたり、高梁の歴史上の人びとは「高梁市史」(昭和56年刊)の随所に記載されていますが、必要なときに検索する事が出来ません。
このため「高梁市史」、「高梁古今詞藻」「岡山縣人名辭書」「上房郡誌」「川上郡誌」等を基に各種刊行物を参考に340人余り及び関係する人物60人ほどを纏めました。
歴史に専門的な知識もなく、また資料収集が十分でなく、調査が行き届いていないところもあります。
また、行文の推敲にも多くの時を費やすことが出来ず、従って誤字、脱字、文法上の誤謬、用語の誤り等が多くあり読みにくいものになっていると思いますが、お許し願いたいと思います。
そして埋もれている人々も多数あると思いますが、今後貴重な資料が見出されより良いものになることを信じております。
製作にあたり多くの方にご指導を頂き衷心より御礼申し上げます。